僕が幸せから不幸になって、ちょい幸せになった話

考える人

自分を見直す意味でも、たまにここに記事を追加していこうと思います。
たまに更新するので、興味がある人は、どうぞごらんください。

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たぶん、幸せだった幼少期

僕は一般家庭の3男坊として生まれました。
両親あわせて5人家族で、9歳までは平和に幸せに暮らしていました。
ただ両親の喧嘩は日常茶飯事のイメージで子どもながらに気を遣っていたのを覚えています。

今だと意外に思われるかもしれませんが、子供のころは本当かわいくて(笑)
近所でも、ちょっと噂になるくらいに可愛かったんですよ(; ・`д・´)
性格はおとなしめだけど、冗談が好きなタイプで、幸せな感じだったと思います。

ただ病気がちで、よく幼稚園や小学校を休んだ記憶があります。
おかげで友だちにも「病原菌」みたいなあだ名を付けられていた記憶もあります。
「病原菌」って、幼稚園生で、よくそんな言葉を知っていますよね。

ちょっと短気で癇癪もちなところはありましたが、まぁ普通に育ちました。
他人の顔色を見すぎるところが、玉に瑕といったところでしょうか。
でも、両親が離婚して、幸せは一気に崩壊してしまいました。
僕自身が悪いところもあるのですが、……まぁ過去の自分を責めても仕方ないですね。

両親の離婚で狂い始める人生

両親の離婚なんて、いくらでもある不幸ですよね。
でも、僕にとってはとても大きかったんです。
僕はお母さん子だったんですが、「ある日お母さんがいなくなっていました」
両親が離婚した原因は知りません。
ただ別れの挨拶もなしにお母さんが消えていたのはショックでしたね。

ここから、僕にとってはちょっとキツイ生活が始まります。

三人兄弟なんですが、長男は家から出ていき、次男はどうやらお母さんについていきました。
僕はあまり話のしたことのなかった父親と、暮らすことになったんですよね。
「お前のせいで母さんは出ていった」とか言われて、ショックでした。
なんでそんなことを言われたのかは分かりませんが、子どもながらに傷付きましたね。

父は魚市場で働いており、夜中はいませんでした。
日中は寝ているか、パチンコにいっており、ほとんどいませんでした。
僕は日曜日以外は夜一人ですごすのがとても怖かったのを覚えています。

9歳で不眠症になりました。

悪夢を見ることが増えて、眠れない日々が増えました。
だいたい2時に寝て、5時ぐらいに起きる生活が始まりました。
で、学校で昼寝して、怒られるという日々です。

睡眠時間がけずられて、毎日、精神的に疲れてました。
でも、外では元気でいるように言われていたので、外ではがんばってました!
父はどうやら離婚したことを世間的には隠したかったみたいなんですよね。

睡眠不足に続いて、やってきたのは栄養不足です。

父はろくに料理はしませんでしたし、ソーセージがかじることが多かったのを覚えてます。あとカップラーメン。あとあまったお肉をポン酢で!(ぜいたく!)
たまに料理してくれても、料理はひどく塩っ辛くて、大変でした。

今思えば、自分で料理すれば良かったんですよね。
でも、当時はどうやって料理をすればいいかはあんまりよくわかんなかったです。
料理って作ってもらえるもんだという甘っちょろい認識があり、自分で勉強してなかったんですね。
それでもリンゴとかは包丁で切ったりしてましたけど。

父は比較的放置気味の育て方をする人でした。
ネグレクトとは言いませんけど、僕にとってはきつかったですね。
大けがしても、心配してくれませんし、「お前には金がかかる」と文句言われたり。

まぁ、父も大変だったと思うんですよね。
母親に出ていかれ、兄二人にも出ていかれ、きつかったと思います。
その中で学費も出してくれたし、生きる分の食事は与えてくれたし、感謝はけっこーしてるんですよね。

で、僕は不眠症で病気がちだったので、学校も休みがちになりました。
いじめを受けたことはないけど、友だちが少なかったですね。
学校行かなかったり、寝てたりしてたから、「お前だれ」状態でしょう。

中学生で留年? その後、高校・大学へ

中学生のころ、休みすぎたせいで、「お前もう少しで留年」って、教師におどされました。
今思うと義務教育で留年ってあるのかな、って思わなくもないです(ごめんなさい、調べてないです)。
当時の僕はとても焦りましたね。

この中学生の頃は、今思えばうつ状態だったんだと思います。
気力がなく、この世から消えたいなぁと毎日思ってました。
体がだるい日が多く、風邪じゃないのに、インフルエンザみたいな気分でした。

でも、なんとなく進級しました。

高校へは進学し、学費も出してもらえました。修学旅行にはいかせてもらえませんでしたけど(笑)

休みがちだったんですけど、高校になるとお小遣いが手に入り、弁当的なものを購入し、じょじょに栄養状態はよくなっていきました。
友だちもそこそこできましたが、深く誰かと付き合うことはなかったですね。

その後、大学へ奨学金で行くことになり、そこそこな人生を歩むようになります。
でも、時期により、うつ病っぽい状態になることもあり、きつかったですね。
当時はずっと身体的な病気だと勘違いしていました。
心療内科って、行ってみようって感覚はなかったですしね。

地獄のIT企業

大学卒業後、IT企業に行きました。
プログラマーではなくて、お客様のパソコン設定や、会社のソフトをサポートする感じの仕事でした。
これが、鬼激務でした!

9時から5時勤務がけっこーある。
え、普通じゃんって思ったでしょ?
9時から17時じゃないですよ? 午前9時から午前5時ですよ?

いやいや、20時間労働はけっこーきついって。

途中で休憩や移動時間があるとはいえ、きついってばさ!
しかも、当時の僕は無能そのもので、毎日のように怒られました。
怒られた+「お前、なんでいるの?」って感じでしたね。

土日は休みなんですが、会社の留守番電話をケータイで持たされてました。
さらに遠隔ツールで、お客様のサポートもなぜか休日にしてました。
家でお客様サポートって、今なら大問題ですよね。顧客情報が(笑)

激務+怒鳴られの中で、精神的に疲弊し、ぶっ倒れました。
ある日、起き上がれなくなったんです。
ベッドから出ることができなくなり、そのまま心療内科に友達に連れてかれました。

そこで心療内科の先生に追い打ちをかけられます。

「あんた根性ないんじゃないの?」

ええええええええええ!
はじめて心療内科行きましたが、こんな言葉を言われるとは思いませんでした。
しかもこの時の僕は「やっぱり僕は根性無しか」と思っちゃいました。

まぁ、こんなひどい病院、万に1つだと思いますが、万に1つを引きましたね。
未だに病院が苦手な理由はこの病院が原因だったりします。
※もう一つ盲腸を誤診され、苦しんだ思いもあり病院運がありません。

結局、僕はIT企業をやめて、ああ、自分ってクズなんだぁと思うようになりました。

で、1,2年して再起をはかろうとします。
この時、コールセンターの求人があり、これに応募しました。
「電話ぐらいできないと社会人として終わり。できない時は……」

決死の覚悟でした。
当時はあまり世の中を知らず、コールセンターの厳しさも知りませんでした。
でも、「電話ぐらい」という思いで入った僕の判断はある意味、正しかったんです。

コールセンターで自分の存在価値に気づく

コールセンターはすでにおそらく双極性障害気味だった僕にはきつかったです。
でも、今までの学校や職場とは違い、尊敬できる先輩や頼れる同僚もおり、必死に勉強して、必死に食らいつきました。

で、なぜか『コールセンターの大会で優勝』しました。

きっと電話応対が向いていたんでしょうね。
優しい人にも出会い、僕の人生はようやく順風満帆になる、……ところでした。

だけど、そんな僕にしのびよっていたのが、うつ病なんです。

双極性障害で人生狂う

原因は不明でした。
幼少時代からの積み重ねや仕事の幅が広がったのが理由だったかもしれません。
でも、明確なトリガーが僕にはいまだにわからないまま。

ぶったおれました。

ここからは異常ですよ。
躁と鬱を繰り返して、とたんに会社に迷惑をかけまくる存在になりました。
スーツ着用の会社なのに、なぜかピンクのTシャツとか着て行ったりしてました(アホかwww)

ま、実際には笑えないぐらいのミスなどをするようになりました。
会社の大きめのところだったので、手厚くフォローしてくれましたが、僕から会社を辞めることを告げました。
迷惑をかけ続けることに、限界でした……。

で、今にいたるけど、けっこー回復気味

退社後、人に言えないぐらいまずいことがたくさんありました。
でも、ウォーキングしたり、食事改善したり、運動したりで改善してきています。

お金がないので、今は友達とシェアで暮らしています。
仕事も小さなものですが、シナリオを書かせていただいています。
今後の展望はあいまいだけど、一つ一つがんばって行こうと思っています。

うつ病の人に言いたいことは、

・無理しないこと
・薬はきちんと飲むこと
・病院にはいくこと
・遊ぶこと

ですね。本当に無理せずに、治療に専念して欲しいです。
で、いろんなことを楽しんで、遊んでもらいたいです。

いろいろとはしょりましたが、僕の人生はこんな感じです。
僕より楽しい人生でも、不幸な人生でも、うつ病になる人はいます。
どうか、無理しないで、身体のサインを見逃さないで上げてください。

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